1月1日の夜、大切な人を失ったことを知りました
今は立ち直り始めていますが、その人への感謝を込めて一筆
同級生であり、小さい頃からの幼なじみであり、そして無二の親友である隣人へ
その部屋に入ると長い線香が立ててあった
目の前に大きな遺影
中央に棺があって
ガラス張りの向こう側の人間は
もう二度と
目を覚ますことはない
自分が小学二年のこと、引越すことになりそこに我が家が建つということで、ある日その経過を見に行った
まだコンクリ状態で二階もない段階だったのだが
その我が家の中から突然飛び出してきた子供
それが自分と隣人との出会いだった
この隣人は自分と同い年で通う学校ももちろん自分の新しい通学先で、その隣人の家と自分の家は塀が一枚仕切られただけの超お隣さんだった
猫を追いかけていたという隣人とはすぐ打ち解けて、自分たち家族が帰る時は窓から身を乗り出して見送ってくれた時のことが印象的だ
おい、そこは一応自分の新しい家なんだが
小学三年生から自分のそこでの生活が始まったが、その隣人がいたおかげで学校にはすぐになじむことが出来た
隣人には独特のカリスマ?があり、誰にでも尊敬されてそして好かれるタイプだった
当時の自分はというと窓際で細々と落書きをしているような、引っ込み思案で消極的な人間だった
隣人がサッカー部に入ると言えば、ついて行くようにサッカー部に入った
いつしか自分の生活に隣人の存在が欠かせなくなっていた
一方大喧嘩もした
大抵はクラスの仲間はずれに遭っている立場の人間に、自分が仲良くしようとしていると隣人の機嫌はかなり悪くなった
今思えばそれなりに自分を心配していたからだったのかもしれない
校内でも敵にまわしたくない相手で有名だった隣人を相手に真っ向から対立したのだから、当時の自分もなかなかに意地っ張りだったような気がする
中学生の頃までで合わせて二回、数ヶ月間におよぶ本気の大喧嘩をしたが、絶交必至と思われたそのどれもが、まるで単なる兄弟喧嘩だったかのようにいつの間にか元の関係に戻っていた
隣人はプライドも高いがとにかく努力家だった
中学を出て商業高校に進み、カリキュラム外の国家試験を独学で取得
その学校での過去最多取得数の記録更新を目指して常に猛勉強、惜しくも更新とはいかなかったが記録まであと1種類のところだった
これらの功績は地元の新聞にも取り上げられ、校内の弁論大会でも2位になるなど積極的に色々な事柄に挑戦していった
大学に進もうと決めてからは「親に金を出させたくない」と、塾や予備校の力を借りずに毎週地元の図書館で普通科高校の必修科目を自主勉強、時には放課後によその高校の職員室にあがり込んで顔も知らない教師達に勉強を教えてもらいながら、結果見事希望の大学に入学した
やると決めたら努力して何としても物にする、有言実行を絵に描いたような隣人は中学の頃から周囲の人間に慕われていて、その隣人と小さい頃からよく遊び、時には泊まり込みで朝まで遊んだ、
堂々と幼なじみと呼ぶことが出来る、それを自分はどこか誇りに思っていた
しかし中学を卒業した時点で隣人は商業、自分は普通科の高校に分かれたので、以前のように遊ぶ機会はめっきり減っていた
でもそこは長年の付き合い、便りがないのは良い便りというつもりで、お互い連絡も取らないまま別々の時間を過ごしていた
そして大学に入って、ますます連絡を取らなくなる
1年に交わしたメールは20件もなかった
それでも会うたびに隣人は本当に嬉しそうで、時間を空けたって互いの関係が疎遠になっているという事はなかった
しかし
今年の12月27日、久々に会った友人からその隣人が精神的に参っているという話を聞く
隣人は中学の頃からそうだったが、悩み事があっても一人で抱え込んでは思い詰めたりしていたので、今回もそういう事なんだろうと思っていた
あと一週間もすれば成人式、久々に会って話をするか…
思えばこの時、気になったこの時に隣人に電話でもしていれば
2009年1月1日
親戚の家で正月のお祝いをした後のこと
友人から突然の電話が入った
すっかり夜になっていたので珍しいと思いながら出ると
「○○、 くなったって…」
電波が遠い?
場所を変えてもう一度聞きなおすと
「(隣人)が亡くなったって聞いた」
…
…え?
亡くなった?
「自分もさっきから(隣人)の携帯にメールしてるけど連絡がないんだ」
家は隣にあるんだ、直接様子を見てくればいいじゃないか
事情を隠して母親に「今すぐ返す漫画があるから(隣人)の家に行きたい」と伝える
不思議そうな顔をする母親に、「最近(隣人)の元気がないって聞いていたから様子も見に行きたい」とそう言うと
「昼間から家の前に車が沢山止まってたよ。今日は正月だから親戚の方がいるんじゃない?」
母親はそう返してきた
背筋が凍る
長年付き合ってきた隣人の家の事情は分かっていた
隣人宅もまた、お祝い事はよその家に行ってやっていたはずだった
家の前に並んでいたその車は、誰の顔を見に来た車なのだろう
家に着いてから一応返していなかった漫画を取り、半年振りに隣の家に行った
最後に会ったのは9月下旬、その時はこの漫画を借りに行った
久しぶりに会った自分の顔を見て、隣人は体調をめちゃくちゃ心配してくれていた
インターホンを押すとお兄さんが出てきた
隣人のお兄さんは、実家を離れていてちっとも帰ってこないと聞いていた
自分が引っ越してきて9年間、一度も会話をかわしたことがない相手だった
そしてとたんに香る、線香の匂い
これは
あ、あの(隣人)に用があってきたんですけど
自分がそういうと、お兄さんは困ったように笑って言った
「(隣人)、亡くなっちゃったんですよ」
「(隣人)の友達ですか?」
それを聞いたお兄さんが奥に引っ込んで、しばらくするとお母さんの方が出てきた
少しふけたように見えるが、懐かしい顔
この家で夕飯をご馳走してもらったり、このお母さんと隣人と一緒にバドミントンをしに行ったこともあった
少し笑って
「…事情は知ってるの?」
いえ、友達に噂を聞いて、いてもたってもいられなくて
「あがって」
懐かしい、相変わらずの個性的な間取り
隣人のお父さんが自分で設計したという隣人の家
何回も遊びに来たり、泊まったりしたのでどの部屋のことも知っている
隣人と風呂に入ったこともあった自分のもう一つの我が家
そして目の前の見慣れた部屋に
飾ってある遺影
中央の大きな棺
立ててある長い線香
お母さんがそっと棺の顔部分の小さな仕切りを開けた
「もう4日経ってるんだけどね」
棺が思いのほか深く、そばに座っているだけでは頭の一部しか見えなかった
思い切ってひざ立ちになると
隣人がそこにあった
「あった」という表現が不謹慎なのは分かってる、でも明らかに生きている人の顔じゃなかった
その時受けた衝撃は不思議なものだった
変わり果てたその姿を見ても涙が出ることはなく、隣人のお母さんがする話をただ冷静に聞く
この一年、隣人の精神的なダメージは心だけではなく体をも蝕んでいた
拒食症や不眠症、それらを家族に打ち明けるどころか、夏頃に自力で直そうとたった一人で病院に通っていたらしい
どんな時でも周囲に心配をかけまいとするそういう所が、悲しいほどに隣人らしかった
11月、「未成年だから親御さんも連れて来なさい」と医師に告げられ、その頃から事情を知った両親は隣人の体を心配し、実家に帰って栄養を摂るよう言っては隣人も実際、毎週ここに帰ってきていたらしい
12月に入り体調も良くなってきていていて両親も友人も、安心していたが
そして12月31日
休みに入っても実家に連絡がなく、心配になった両親は隣人の入っている寮へ様子を見に行った
隣人はベッドの中、すでに冷たくなっていたそうだ
亡くなった日は推定28日だったという
昔から誰よりも大人じみていた隣人は、大人になる前にこの世を去った
享年19歳
帰り際、棺の中にいる隣人の顔へ振り返る
遠くから見ると本当に眠っているだけのようで、この家に泊まった時の、自分よりも目覚めの遅い低血圧な隣人の寝顔がオーバーラップした
線香をあげて家に戻り
「(隣人)の様子はどうだった?」とそう聞いてきた母親に答えた
「亡くなって、た。」
言い終わらないうちに声が言葉にならなくなって
せきを切ったようにあふれ出す涙は止められるものじゃなかった
さっきまでの冷静さが嘘だったかのように嗚咽が止まらなくて
きっとこの瞬間ようやく、
隣人が死んだ
という事実を受け入れたのだと思う
1月2日
ビーーっという長いクラクションを鳴らし、隣人を乗せた霊柩車が家を出る
昨晩、隣人のお母さんが言っていたある一言が脳裏を過ぎった
「明日の出棺のあと火葬だけど、そしたら生き返れなくなっちゃうね」
生き返ったらいいのにね、
伏せたまま黙り込む隣人のお父さんにそう言って向けた、あの寂しい笑顔
両親は自分のことを心配し、この日は家で休んでいるか聞いてきたが、
自分は例年通り親戚の家参りと初詣に出かけた
これでしょげてふさぎ込んだら隣人が怒る、そう自分に言い聞かせて出来るだけ普段通りに振舞った
次の日は告別式をするという
本当はその予定はなかったらしいが、より多くの友達に見送られた方が隣人も喜ぶだろうと、隣人の両親が新聞に訃報を載せるそうだ
明日でさよならなのか
その晩、一気に悲しい感情が吹き出した
何でよりによってお前なんだよ
何でもっと老けるまで一緒にいてくれなかったんだよ
何で自分に相談しなかったんだよ
何より自分は、なんでもっと隣人に会って話をしようとしなかったんだろう
成人式で会えるもんだと当然のように思っていた
自分の描く絵を楽しみにしてくれた
家に来るたびに新しい絵を見ていた誰よりもずっと自分の絵を知っていた
涙が出なくなるまで泣いた、とにかく泣いた
胸が引き裂かれるような痛みと悲しみと引き換えにようやく、
『隣人が死んだ』という現実を受け止めた
1月3日
告別式の日
高校生の頃にひいおばあちゃんが亡くなった時は制服で参加したが、今度は初めてのちゃんとした喪服
というか、初めての喪服の相手がお前とはどういうことだ隣人
焼香をあげて、手を合わせる
さよならなんて言わない、言うならおやすみだ
向こうでぐらいゆっくり休んでくれ
お前は自分の、誇れる幼なじみなんだと
ずっと親友なんだと
悲しみを昨夜で出し切り今日泣く気は無かったが、結局最後に少しだけ涙が出た
思っていたより懐かしい中学以来の顔ぶれを見かけた
見慣れない顔は隣人の高校時代の友人か
皆新聞の訃報を見て駆けつけたらしい
自分の家の後ろに住んでいる、自分の弟の同級生のお父さんも来ていた
隣人はこんなにも愛されていた
その後友人達と別の用事で出かけて
隣人との思い出を話した
その時に友人から聞いた話だが、あの敵に回したくないと誰もが恐れる隣人が
「ただ一人、自分が勝てない相手がいる」
という話をしたことがあったという
実はその相手というのが、自分だったんだそうだ
初耳だった
頭でも喧嘩でも、隣人の方が上手だった気がするが
「奴だけは怒らせない方がいい」そう言っていたという隣人を想像して、ようやく笑う事が出来た
友人が言った
「(隣人)だったら、いつまでもこの事で自分達がしょげてたら頭かかえて落ち込みそうだよね」
昔から誰にも心配をかけまいとする隣人をよく知っているからこそ、それは間違いなく同意できる
隣人が死んだという現実を受け止めて次に自分達が出来ることは、隣人と過ごした季節を無駄にしないということ
一緒に過ごしてきた時間の中で、趣味とか癖とかそんな色んな部分が隣人に似てきて
いつの間にか消極的で暗い性格だった自分もいなくなっていた
隣人は自分の中で生きている
お前の分まで生きるから
見ていて欲しい。